背守り | いつもどこかへ

背守り

今日で大震災から4ヶ月。

あの日は子どもの外遊びのボールを買いに行こうと店に入る直前に震度6の地震に遭いました。

自動ドアが上下左右に動き閉じたり開いたりおかしな動きを繰り返し「壊れたのかしら??」と思ったときに激しい揺れに変わりました。幸い駐車場にいたので落下物の危険はなく、揺れが激しくなったときに遠くの木から鳥の群れが一斉に飛び立つのが見えました。

近くの公園で余震をやり過ごし、自宅に戻っても停電のため情報はラジオからしか入らず。次々と入ってくる情報に戦慄が走りました。

 が、子どもはいたって平和。近所の子ども達はサバイバル体験気分で盛り上がっていました。しかし夜になり、ご近所の車に避難させてもらいナビのTV映像で初めて見た津波に様子に言葉がでませんでした。さらに原発の事故。制御も後始末すらできないものにどうして手を出したのか。憤りを感じます。

経済のためなど理由は複雑なのかもしれませんが、それ以外の利益がらみの理由もあったのでしょう。電化製品がこれだけあふれていれば電気もそれなりにいるでしょう。ただ電気を使うものはイザというときに弱いと思います。むしろそういうものがなくても動揺しないだけの知識と技を身に付けたほうが近道だと思うのですが…。

加えて政府の迷走。もう首相の性格がどうとか、言葉の揚げ足取りとか、どうでもいいんです。やることやってくれれば。この国難のときに、政治屋さんのほしいものと国民がほしいものはこんなに違うのか…と思います。もう言いたい放題言わせてもらえば、まず国会は締め切った体育館で、パイプ椅子と長机。冷房は団扇と扇風機。食事はレトルトのカレーで水は水道水でどうなんでしょう?

以上があの日から4ヶ月たった私の気持ちです。


さて、そんな話は置いといて、もうすぐ一歳半のチビスケ。
直立二足歩行もすっかりさまになり、楽しくも目が離せない毎日です。そんなチビの服に背守りを縫い付けました。去年暮らしの手帖で記事を見て以来、ネットで図案を探し刺し子いとでチクチクと。
いつもどこかへ
こちらは網干の吉祥紋。背守りの図案、名前がわかるまで「?」な柄が多いです。怪しい感じが気に入ってます。


いつもどこかへ
刺繍枠をはずすと張りがなくなり図案がわかりづらくなるので
見やすくなるように刺し方をいろいろ試した結果網の部分はジグザグに。

いつもどこかへ
こちらは去年の秋に付けたもの。コウモリかセミ?


いつもどこかへ-m、
家紋に似てるので選んでみた図案。